政治とか、歴史とか、普段家族と話し合うことはあんまりない。
触れてはいけないことが多すぎるから。
今年の夏、北京旅行の時、円明園に行く予定はなかったけど通りかかった。
息子は突然質問した。「円明園を焼いたあの八国の人は、今でも円明園に来る?叩かれない?」
何処から説明しようかと一瞬躊躇ったけど、「複雑な事情があるから、いずれ詳しく教えよう」とだけ伝えた。
学校で習う歴史なら、都合よく「侵略者が来て焼き払った」としている。今はどうなってるのかわからないが、混乱を避けるために、学校で習った後に説明してあげようか。
と、思ったけど、まさかこんなに早く来るとは心外だった。
小学五年生は歴史の授業なんて受けていないのに、「愛国教育」として円明園についてのドキュメンタリー番組を視聴するように先生に言われた。
僕が晩ご飯を作っているうちに、妻は携帯から番組を再生して息子と二人で見ていた。うっすらと聞こえたけど、あの戦争のいきさつを詳しく説明しているようでまあいいだろうと思った。
しばらくすると、息子はどたばたと台所にやってきた。
「お父さん、なんで説明してくれなかったの?あんなに簡単な話なのに」
「簡単?どこが?」
「英国が広州に入りたかっただろ。拒絶されただろ。入る。ダメ。入る。ダメ。そして戦争を起こして円明園を焼いた」
「あのね」気が遠くなりそうで深呼吸した。「あれはちゃんとしたいきさつがあって」
「はいはい後で先生が説明してくれるのでしょう。先生の説明に従おう」妻が遮ってきた。「歴史の解釈ってそれぞれなのね」
それぞれってところじゃないけど。
都合のいいところだけ強調して、他のことを飛ばす。
それがここの歴史教育の手口だ。
言葉を探してると、妻はこちらをにらみつけた。
あなたがシニカルであることはわかっているから、いらないことを話さないでよとばかりに。
妻は歴史を詳しく知っているわけではない。控えめに言って無知のほうだ。だがまじめな話になると「すぐそんなことを言う」と揶揄う。
僕はただ、「清国も十分な悪だったから、昔の中国だから肩入れしなければならないとの姿勢は良くない」と息子に教えたかった。
まあそれもいらないことだろう。
「とにかくでたらめに善悪を決めつけないで。いい?」
息子は分からなさそうに頷いた。
そしてこの話は終わり、いつものように食事を始めた。
ただ僕だけが、息苦しくなっていた。
たしかに、今の息子にそのようなことを意識させたら、色々まずいことになるかもしれない。
しかしいつ意識させた方がいい?
このまま育ったら僕なんかに教わっても変わるのだろうか?
そもそも僕の考えをちゃんと伝える日がやってくるのだろうか?
また不安と絶望を飲み込んで、這いずり回る一日だった。